戸田会長の質問会集


「戸田城聖先生 質問会集」昭和38年8月2日発行 から引用


南無妙法蓮華経とは

【問1】 「南無妙法蓮華経」とは、どのような意味があるのでしょうか。

【答】 南無とは帰命、すなわち妙法蓮華経に絶対にしたがうという意味です。妙法とはわれわれ人間の智ではかり知れぬ不思議な法であり、蓮華の法であります。われわれは泥沼にいるのです。泥沼から咲く花は美しい、華と果が功徳となって現われる、これが因果倶時であります。経とはわれわれがありかたいと思うことです。これ自体が、われわれの運命を支配するの です。
 別な立ち場からこれを拝せば、無作三身如来すなわち根本の仏様であり、永遠に不変の仏の御名をいいます。末法にはいっては日蓮大聖人様であり、日蓮大聖人様御自身所有の、久遠元初のありのままの生命と力とを、大御本尊様にしたためられたのが、法本尊即日蓮大聖人様、大本尊です。すなわち人法一個(ママ)であります。 われわれが信心すれば、日蓮大聖人様の所有の根本の力が、われわれの生命に感応して湧いてくるのです。われわれもやはり、ありのままの永遠真如の自分にかわるのです。これが「南無妙法蓮華経」の実体であります。



戒壇の大御本尊を否定どころか、建立の事績おも歴史から消し去っており、また、会員に説明もなく「人法一箇」の本尊義も学会教学から削除しているのです。



弘安二年十月十二日の御本尊

【問3】 弘安二年の十月十二日の御本尊様について説明して下さい。

【答】 弘安二年の十月十二日の御本尊様というのは奉安殿の御本尊様のことです。これに対しては、なにものも絶対疑ってば相なりません。いま、安永弁哲が、偽作論の中で、第九代の日有上人様が板曼荼羅を偽作したというのが、他宗の間違った議論なのです。これに皆迷う。 総本山で、明らかにすればいいのに秘密主義なのです。それは「時を待つのみ」というご命令をそのままうけていらっしやるから、正直なのです。本山ぐらい正直なところはないのです。 有師様が御本尊を偽作したというのは、身延の連中のいうことなのですが、そういわれると、 そういうこともあるかなと、思うものもあるでしょう。
 私は本山へきて、日有上人の御本尊を拝したことがあります。これは現在でも御宝蔵にきちんとしまってあるのです。身延派はこの御本尊様と間違えているのです。またおかしいのは紫宸殿御本尊様のことをいっているのでもない、これは年号が違うのです。またどの御本尊様ともいえない。まったくのうそです。弘安 二年の御本尊様は弘安二年の御本尊様です。これは拝んでみれば功徳があるのでわかるではないですか。あの御本尊様を他の人が作れますか。私かラジオやテレビを作るようなもので、い くらやっても映らないようなものです。洗濯機にしても私が作ったのでは動かないのです。そのようなものです。大御本尊様を拝んでいれば、そんなことはわかるではないですか。弘安二年の御本尊様は、有師が作ったのではありません。有師様のは別にあるのです。


なぜいろいろな御本尊があるのか

【問10】 御本尊様は一つだといわれておりますがいろいろ違った御本尊様があります。どういうわけですか。また幹部は懐中御本尊様を持っていますが、それはどういうものですか。

【答】 御本尊様は一つしかありませんが、無量義経に分身散体の法というのがあります。この分身散体の法というのは、創価学会を除いて日本広しといえども絶対に説いておりません。 分身散体の分け方により種々分けられますが、すべて一閻浮提の御本尊に帰一するのです。いま、懐中御本尊といいましたが、ふところに入れるものは何でも懐中ですが。これはお守り御本尊といって、われわれが身をもって守る御本尊であります。むかしは功労のあった人に下されましたが、現在も功労によっていただけます。純真に信心にはげんで、お守り御本尊を受けられるようになりたいものです。


貧乏について

【問68】 信心をして、一番救いがたいのは貧乏であると聞きましたが、その理由を教えて下さい。

【答】 貧乏というのは、すぐなおらないのです。時間かかかるということだけなのです。信仰してすぐ金ができてしまったら、だれでも信心します。時間がかかるあいだ、待てというだけなのです。
早くいえば、下種というでしょう。種を植えて、植えたらすぐに稲でもなんでも次の目すぐできたら、これはおかしなものではないですか。そういうことは世の中にないでしょう。柿の木は八年、ももは三年、りんごの木も八年です。米だって半年かかります。野菜だって三月ぐらいかかるのです。そういうものではありませんか。
 種を植えたのです。種を植えたのに次の日、すぐから金持ちになるなどとはぜいたくです。そのようなことは、ありえません。ただ病気は本人が苦しむでしょう、だから本人を苦しめないために、なおりが早いのです。金欠病は、これは時開かかかります。種を植えたのだから、八年も待ったらだいじょうぶです。
よく私は、あなた信心して、なん年になると聞くのです。三年とか二年とかいいます。それでまだ病気で困っていると聞くとバカなことあるかという、それは信心していないと私はいうのです。そんなバカなことはありません。断じてそんなことはありません。そんなバカなことあるものですか。病気などというものは、かんたんになおるのです。ただ金欠病というのは、前世から背負ってきたものだから、これは時間がかかるのです。
 あるおばあさんが、いつも話すことだけれども、「先生、なん年くらいやったらだいじょうぶですか」「七年やりなさい」「そんなに待っていられません」それは、その気持ちはよくわかります。その気持ちはよくわかりますけれども、これは待ってもらわなければなりません。木が育たなくてはなりません。育ったらもうだいじょうぶです。もうお金などは降るようにはいってきます。ほんとうに気の毒な人には金をやりたいと思うけれども、ぼくなんかは、金をやった人で成功した人はありません。やはり自分で育てなくてはならないのです。
 よくこういう手紙がくる。今月の末に三十万円なければ破産するから、先生貸して下さい。そんなの返事なんか出すなという。なにいっているのです。そんなものに二十万々三十万の金をやっても成功しません。三十万なり二十万は損するに決まった運命を持っているのです。ですから、自分で打開していく以外にないでしょう。そうではないでしょうか。それならやってもしようかおりません。

 ○○ という男が蒲田支部におりました。夜逃げしたのです。それまで、いつも私のところへきていたのです。いろいろなことをいって聞きにきていました。ところがいつの間にかいなくなってしまいました。あいつどうしたと聞いたら、四年くらい前の話です。「先生、もう電話をひいて、新しい家を建ててやっている」というのです。じょうだんではないよといったのです、夜逃げした人が、そういうものです。そういう人はたくさんいます。ですから、それは信心をまっとうしていきなさい。金ができないということがあるものですか。そんなもの、世の中に六千何百億という金が、ごうごうと流れているのです。ちょっとここに千円札のはいるあなさえあければ、すーっとはいってくるのです。そのあなをおけるのに時間がかかるのです。だから金はかならずできます。まじめな信心をきちんとしていなさい。金はかならずできます。できないわけがあるものですか。 

 そうはいっても、小判がほしいといってもそれは無理です。ないのですから。お札だもの、紙で印刷したものだもの、それに流れているのだもの、はいってこないわけがありません。それがはいってこないなら、大御本尊様に文句をいいなさい。七年間もまじめに信心して、戸田は七年といったと、まだはいってこないと、けしがらんと、あんたうそつきかと御本尊様に談判しなさい。次の日からはいってくるから、それはうそではありません。
 私などは貧乏のし通しだったのだから、質屋ののきをくぐったのは、なんべんかわからないのです。私は金時計を昔もっていました、それを質屋へ持っていくと、いつも裏をあけて、そしてほんとうの金かどうか番頭が削ってみるのです。筋がなん本もついてしまったのです。恥ずかしくて人の前に出せないのです。とうとう戦争で供出ということになって、それで皮だけは質屋へやりました。その時、とてもうれしかったのです。みな金時計を持っていないのだから、持っていなくてもいいのだから。
それほどの貧乏をしてきて、いまそう金には困らないのです。たくさんは持っていないけれども、二百円や三百円は持っています。だが、二百円、三百円で困らなくなればこれで金持ちです。どうです、何万円なくてもぼくはいいのだもの。二百円あればだいじょうぶなのです。
 あとは困らないのです。こうなれば金持ちのうちでしょう。うそだと思ったら、いっぺん千円札一枚見せてやろうか、千円や二千円持っていたらぼくは大金持ちでいるつもりなのです。だって使わないもの、金なんか。だから金持ちです。ほんとうです。あなたがたも早くそういうふうになりなさい。




御本尊が久遠の儀式だということは

【問17】 私たちが拝んでいる御本尊様のお文字が、久遠の儀式だということをうかがってい ますが、どういうわけでしょうか。

【答】 一応は久遠の儀式の姿が、ここに現われているのです。しかしそれはそのまま日蓮大聖人様のご生命であり、大宇宙の生命であり、われわれの生命ではありますけれど、それが一応の形は、南無妙法蓮華経日蓮とあります。南無妙法蓮華経とは久遠元初の自受用報身如来、 日蓮とはその久遠元初の自受用報身如来と同じ方です。ですから南無妙法蓮華経日蓮とあるのです。南無妙法蓮華経仏とはすなわち日蓮なりと読んでもいいのです。日蓮大聖人様がまん中にデンとお坐りになっているのです。その右側に多宝如来様が坐っています。こちらに釈迦牟尼世尊が坐っています。そうするとこの後の方に、ずーっと分身の諸仏が集まっています。梵天にとどくほどずーっと階段のようになっているのです。まあ早くいうと、国技館の座席みた いになって集まっているのです。(以下略)


『久遠元初の法』を根本としてこそ、永遠の妙法流布の道が開ける」(平成5年5月3日 聖教新聞 池田発言)




書籍紹介ほか

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