池田会長の誕生





 戸田会長は、自身が立てた請願75万世帯を達成し、広宣流布の模擬試験と言われた3.16を総本山で最後の指揮をとっていた。
 ただし、弱りきった身体の中、本山・理境坊で横になりながら過ごすのが精一杯の状態であった。余命いくばくもない姿を目の当たりにしていた青年部は、次期会長は誰に指名するのかが気がかりでしかたがなかった。
 この時の様子を当時の青年部幹部・龍年光氏がこう回想している。
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 三月十六日、儀式の後、戸田先生は、床に伏して起き上がれないほど衰弱されていた。
原島宏治、小泉隆、辻武寿、柏原ヤス、馬場勝種ら理事たちと、池田・北条・森田・龍の四参謀が揃って戸田先生の枕元に行き、遺言を聞こうということになった。音頭を取ったのは辻、原島、小泉らで、この際はっきり池田を三代会長に指名してもらおうという八ラづもりだったようだ。
 辻は「大久保彦左衛門」と渾名され、どんな場面でも物怖じせずにズバッと物をいう男だった。この時も、病の先生の枕辺で、当然のような顔をして、「先生、三代会長は誰にするんですか」と単刀直入に尋ねた。
 ところが先生は、はっきりした声で、「それは、お前たちが決めるんだ」と答えられた。
 当然、「池田」という返事が返ってくると期待してた辻は驚き、もう一度同じことを聞いたが、返事は同じであった。
(「創価学会を解散させよ」龍年光)


有徳王 第2号


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次期会長を指名せず
戸田会長は、昭和33年4月2日に亡くなった。


次期会長に「池田」と歴史改ざん
` その後、会長空席が2年間続き、原島理事らの推挙によって、ようやく第三代会長に池田大作が就任する運びとなったのである。
 しかし、戸田が次期会長を池田氏に指名したかのような捏造が学会の歴史に加えられた。
それは、3.16の式典のさなか戸田は池田に対しこう述べたというのである、
「わしの、いっさいの仕事は、これで終わったよ。おとは、おれと、お前だ。お前が、あとはしっかりするんだぞ」(『大白蓮華』昭和35年6月号) 資料

これは、池田氏は大講堂のエレベーターの中で、次期会長を託されたとうことを意味する



後継指名のエピソードに情報操作
 池田を次期会長に育てるエピソードとして語られるものに、戸田から直々に講義を受けたというものがある。しかし、実際にはその講義を秋谷栄之助も受けていたのである。
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戸田の講義を受けたのは池田ばかりでなく、たとえば二十六年入信の秋谷城永(のちに、栄之助) も受講者の一人だった。
「(秋谷は八時半から) 九時までの三十分、かならず博学の戸田会長から雑談ふうの講義をきいた。池田現会長も仲間であった」
(『文芸朝日』昭和38年8月号/「池田大作権力者の構造」)
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戸田は次期会長に、池田を念頭に入れ、個人講義を行っていたかも知れないが、最終的に戸田は決めかね、むしろ石田次男に期待していた。

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